江戸時代に学ぶ環境意識
リサイクルやエコという言葉をよく耳にする。環境に対する意識が高まっていることは大変すばらしいことだ。しかし、昨今の環境への取り組みと言えば、ゴミの分別や、CO2の削減など、あらゆる事柄に細かな制約を付けることだけに目がいきがちではないだろうか。
現在、世界的にみて日本の環境問題への取り組みは欧米に比べると5~10年遅れをとってていると言われているが、それは欧米諸国が作り上げた産業革命以降の価値基準と消費行動に基づいた見解であり、決して我々日本人が環境に対する意識の低い国民というわけではない。
物作りの文化が一気に花開いた江戸時代、当時の日本人は着物を縫い替え、着られなくなれば子供用に仕立て直し、次の子が生まれたらオシメにし、最後は雑巾にまでして利用してきた。その他にも布団の綿は打ち替えて再利用、畳の裏表は入れ替え、下肥まで田畑に利用してきた。我々は産業革命のはるか以前から行政の手や制約を設けることなく各家庭レベルでのリサイクルを実現していた。そんな日本人のどこが「環境に対する意識の低い国民」といえようか。
ジーンズから始めるエコロジー
しかし、明治以降日本も欧米列強に追いつけ追い越せとばかりに近代化の一途を辿り、便利な生活を手にする中で、日本人が本来持ちえた生活の知恵や世界に誇るべき美徳を徐々に失ってきたこともまた事実である。
必要な分以上に物を作り、余った物に対してリサイクルと称しお金を使い、「エコロジー」という概念すらもを商売にする。このねじれた消費の現実は我々が作り上げた「消費社会」に対するツケが回った結果であり、行き過ぎた消費経済の限界を意味しているのではないだろうか。膨張し続けた消費を抑えない限り、「負のリサイクル」は廻り続ける。
ステュディオ・ダ・ルチザンは、36年間変わらずタフで丈夫なジーンズを作り続け、ダメージや破れに関しては修理を受け付けている。何度も修理しながら履き込み、自分だけの一本に育て上げていくジーンズ本来の魅力にこそ、江戸時代の日本人に通じる知恵と「負のリサイクル」から脱却する大きなヒントがあるのではないだろうか。